まあ、私の場合、「書くべき」職歴自体がほとんどない(だって、「バンドで何とかギャラはもらえましたが、食えないのでバイトしていました」・・・なんて書けませんからね・・・)のですが、25年も前に取った「簿記検定2級」も「資格」欄に書いておきました(笑)。
久し振りに出身校の名前を書いたりして、懐かしく思いましたし、今は卒業シーズン!という事で、1年近く前に書いて、放置状態だった、「私が高校3年生だった時、運命の悪戯が!」・・・という、これといって面白くもないと思いますが、くだらない運命の悪戯に翻弄される(笑)、田舎の高校生(私)の進路についてのエピソードです。
という事で、当Blog右の「カテゴリ」の「運命の分かれ道」〜「2007年04月21日」をサラッと読んでから(すぐ読めます。内容薄いから(笑))、以下の駄文(笑)を御覧下さい。
呑気な筆者の学生時代
担任は、明らかにこわばった表情で、私に問い掛けました。
「あのさ・・・、お前、今日の簿記検定って、申し込んでる?」
その日は、「日商簿記検定」の日でした。
「え?・・・申し込んでないよ」
すると、担任、急に大声で、
「今日じゃないとダメなんだよ〜!!!」
教壇に両手を掛け、崩れ落ちる担任(笑)!
解説しよう!(ヤッターマン風に)
私の推薦される(はずの)大学の推薦基準は、成績が平均いくつ・・・という他に、「日商簿記検定2級」という条件があり、私はまだ、それは取っていませんでした。検定は、春、秋の年二回(だったと思う)・・・。
そう、「秋の検定では間に合わない」(笑)!
で、今日、受験を申し込んでいない私は、推薦入学アウト!
担任も、そりゃあ崩れ落ちますよ(笑)!!
いや、(笑)って、笑ってる場合じゃないですが(笑)・・・。
ちなみに、私はこの誤記検定の受検について、「先生、秋の受験でもいいのかなぁ?」と、前に確認していて、担任も、「おぉ、秋で大丈夫」と言ってましたからね(笑)、もう、弁解の余地なし(笑)!
しかし、気遣いの人である私は(笑)、「いいよ先生、一般受験で受けるから」と言って、そのまま帰りました(笑)。
まあ、今だったら大問題になりそうな話ですが、当時の私は「大学受験」を甘く見ていた・・・という事もありますし、「推薦」というのが、何だか八百長くさいような気もしていたし(笑)、その大学に何人か先輩がいるので、何だか鬱陶しい・・・など、いろいろな理由もあったような気がします。
まあ、何よりも、その担任は高校三年間全て担任だった先生で、割と自分を理解してくれている人だったので、妙に負い目だとか悩ませたくない・・・と、咄嗟に「いいよいいよ」との言葉が出たんだと思います。
まあ、卒業後は、合わす顔が無いと言いますか、「さすがに、この路線に行くとは思わなかっただろうなぁ」ということで、全然連絡を取っていませんが(笑)、その時はまあ、子供なりの気遣いというか、ちょっとした恩返し的な気持ちがあったんだと思います。
しかし、その後の私を見たら、「あの時、推薦で***大学に行っていれば、こんな事には・・・」と嘆いたかもしれません(笑)。
しかし、仮にその大学に行ったなら・・・とシュミレートすると、これがまたロクな事にはならなかっただろうなぁ・・・って感じなんですよね(笑)。
結果論として言うと、その大学には、以前書いた「地元の1コ上の先輩」が入っており、その人は大学時代からマルチ商法に手を染めていた(苦笑)。大なり小なり、その辺でイヤ〜は事に巻き込まれていた可能性が大でした。
また、東京郊外の大学だった為、まるで田舎暮らしみたいな大学生活になっていた可能性大(笑)。
私がHR,HMに目覚めたのは、浪人中(結果的に一般入試は全滅した訳です(笑))に、隣の駅に住んで同じく浪人していた幼馴染の影響でしたから、推薦でその大学に行っていたら、そもそも今持っているギターは全く違ったものになっていた可能性大。
・・・・と、まあ、今こうして皆さんに下らない事ばかり書いている私も、結果として導かれるように、ここに、こうしている訳です。
振り返ってみれば「分岐点」は沢山あったし、明らかな選択ミスばかりのような気がしますが(笑)、それはあくまで「結果論」です。
もしも受験だの何だのに失敗して、後悔しているキッズがいたら、「その現実を受け入れて、笑って前へ進め!」と、もっともらしい事を言ってみたいですね(笑)!
「前へ進めって、おまえのBlog、思い出話ばっかりじゃねえか!」
なんて突っ込みは御遠慮願います(笑)。